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補足実験データが受け入れられるか否かを判断する際の「証明すべき事実」の審査に関する中国最高裁判決 (2021)最高法知行終832号

1.概要

 本判決において、中国最高人民法院(日本の「最高裁」に相当。以下、「最高裁」という。)は、「補足実験データを通じて直接証明すべき事実は、元の特許出願に明示的に開示されるか、暗黙的に開示されるべきである。もし「証明すべき事実」自体が特許出願に明示的に開示または暗黙的に開示されていなく、且つ曖昧であり、補足実験データを通じて「証明すべき事実」をさらに確認する必要がある場合に、補足実験データは受け入れられない」と判示した(判決日2023年6月28日)。

 

2.背景

(2-1)対象特許の内容

 対象となった特許は、アメリカのエアプロダクツアンドケミカルズインコーポレイテッド株式会社(以下、「エア社」という。)が所有する、「有機アミノシラン前駆体から酸化ケイ素膜を形成する方法」と称する中国特許第101078109号(以下、「109特許」という。)(対応日本特許出願:特願2010-249926)である。109特許のクレーム1は、以下のように2013年5月29日に特許公報にて掲載されたものとなっている。なお、下線は、弊所が付加したものである。

 

【クレーム1】

 下記の式によって表されるアミノシラン前駆体と酸化剤とを使用することにより、化学気相成長によって基材上に酸化ケイ素膜を形成する方法。

【化1】

image

 (式中、R及びRは、イソプロピルである)

 クレーム1の記載によると、式によって表されるアミノシラン前駆体はDIPAS(ジイソプロピルアミノシラン)である

 109特許の明細書には、下記の記載がある。これらの記載は、後述する本件の争点に関わる部分を抜粋したものである。なお、下線は、弊所が付加したものである。

 

 <課題>

【0001】

 半導体デバイスの製作においては、酸化ケイ素などの化学的に不活性な誘電体材料の薄い不動態層が必要不可欠である。酸化ケイ素の薄層は、ポリシリコンと金属層の間の絶縁体、拡散マスク、酸化バリヤー、トレンチ分離、高い絶縁破壊電圧を有する金属間絶縁材料、及びパッシベーション層として機能する。

 

<効果>

【0036】

 上記の複数の有機アミノシランは半導体基材上に酸化ケイ素膜を製造するのに適しているが、式Aの有機アミノシランが好ましいことを見出した。ジアルキルアミノシランは、同様の誘電率を有する膜を形成するという点で、前駆体としての従来のシランの幾つかの基準を満たす。特に、ジイソプロピルアミノシランは、優れた低エッチ速度を提供し、安定でかつ他の多くのシラン前駆体よりも長い保存寿命を有するという点で、プロセスにおいて予想外の特性を提供する

 

【0049】

[例1~4のまとめ]

 まとめると、例1~4は、式Aで示されるタイプの有機アミノシランが、半導体基材上に酸化ケイ素膜を製造するための前駆体として使用できることを示している。ジイソプロピルアミノシラン(DIPAS)は、低エッチ速度の酸化物のプロセスにおいて、前駆体としてのジエチルアミノシラン(DEAS)の使用に対する利点をもたらす。ジエチルアミノシラン(DEAS)は、室温でジイソプロピルアミノシラン(DIPAS)よりも不安定である。ジエチルアミノシラン(DEAS)の不安定な性質は、多くのEH&Sマネジメント、製造、供給ライン(倉庫保管及び船積みを含む)及びエンドユーザプロセスの問題を引き起こす場合がある。例3及び4(参考例)は、ジイソプロピルアミノシラン(DIPAS)から形成された酸化物膜が、同様のプロセス条件下で例1及び2(参考例)においてジエチルアミノシラン(DEAS)から形成された酸化物膜と同じエッチ速度、誘電率、屈折率及び定性的組成(FTIRによる)を一般に有することを示している。したがって、化学及びプロセス両方の観点から、ジイソプロピルアミノシラン(DIPAS)は、低エッチ速度の酸化ケイ素膜を製造するための好ましい前駆体である

 

(2-2)案件の経緯(時系列順)

 2018年2月24日に、金氏(個人)は、中国専利復審委員会(日本の「審判部」に相当。以下、「審判部」という。)に、109特許の全クレームを対象として無効審判を請求した。

 金氏は以下の証拠1を提出した。

 証拠1:JP特開平6-132276A、公開日1994年5月13日、この証拠1は半導体膜形成方法に関し、アスペクト比の高い表面にも、良好な平坦性を持ち、かつ膜質が良い酸化膜を形成でき、一般式(R12N)nSiH4-n(但し、上式において、R1、R2がH-,CH3-,C25-,C37-,C49-のいずれかであり、そのうち少なくとも一つがH-でない。nは1~4の整数である)で表わされる有機シラン化合物と酸素を含んだ化合物を加えて原料ガスとして化学気相成長法により酸化珪素膜を形成することを特徴とし、有機シラン化合物はジプロピルアミノシラン((C372N)SiH3を好ましく利用している。

 

 無効理由としては、下記の2点が挙げられた。

  • [1]クレーム1~7、9~12は、新規性を有さない(法22条2項違反)。
  • 全クレーム1~12は、進歩性を有さない(法22条3項違反)。

 

 2018年9月3日に、エア社は、以下の反証5~7を提出した。

反証5:補足実験データ

反証6及び7:エア社の社員S氏及びMan氏より声明及び中国語訳文(上記補足実験データの真実性を証明するもの)

 

 2018年7月19日に、審判部は、反証5に記載された安定性テスト及び保存寿命試験に基づいて、DIPAS(ジイソプロピルアミノシラン)はDNPAS(ジ-n-プロピルアミノシラン)およびDNBAS(ジ-n-ブチルアミノシラン)よりも優れた安定性を持って、長い保存寿命を有し、優れた安定性を示し、すなわち、アミノシラン前駆体としてジイソプロピルアミノシランを選択することにより、優れた技術的効果を達成した、と判断した。クレーム1と証拠1との相違点は、アミノシラン前駆体はR及びRがイソプロピルである式Aで表わされる有機シラン化合物であることであり、また解決しようとする課題は良好な安定性、長い保存寿命、低いエッチ速度の酸化ケイ素膜を形成する前駆体を提供することである。証拠1には、一般式でのR、R、nを選択すること、又は開示された具体的な有機シラン化合物からR、R、nを調整することによって上記解決しようとする課題を解決できる旨が示唆されていなく、また、DIPAS(ジイソプロピルアミノシラン)が優れた安定性を持っていることが開示されていない。本願の実施例には、式Aに属するDIPASはDEASよりも安定であり、低いエッチ速度の酸化ケイ素膜を形成する適当な前駆体であることが記載され、アミノシラン前駆体としてジイソプロピルアミノシランを選択することにより、優れた技術的効果を達成したと記載されている。以上から、審判部は無効理由が存在しないとして、特許を維持した。

 

 2018年11月13日に、金氏は、上記審決を不服とし、北京知的財産権法院(以下、「一審法院」という。)に提訴した。

 2021年4月29日に、一審法院は、審判部の審決結果に同意し、特許を維持する判決を下した。

 これに対し、金氏は上記一審判決を不服とし、最高裁(即ち、二審法院)に上訴した。

 2021年8月23日に、二審法院は合議体によって公開審理を行った。

 

3.争点及び最高裁の判断

 二審において争点となったのは、主に、相違点により本願に優れた技術的効果を達成するか否か、具体的に補足実験データが受け入れられるか否かということである。

 これに対し、最高裁は、下記のように判断している。

まず、進歩性の評価において、技術的効果は技術的課題の確定に対して重要な影響を及ぼすので、反証5の目的は、DIPASはDNPAS及びDEAS等の多くの類似の前駆体よりも良好な安定性を有することを証明することである。反証5を採用できるか否かは、本願が実際に解決しようとする課題及び従来技術に「証明すべき事実」に対する技術的示唆があるか否かに直接に関連し、更に本願が進歩性を有するか否かに影響している。

次に、出願日後に補足実験データを追加提出し、当該補足実験データを採用したいと主張する場合、以下の2点から審査しなければならない。

(1)当該実験データ及び対応する証拠が真実性、合法性及び関連性を具備するか否かを審査し、それを採用できるか否かを決定する、

(2)当該実験データが以下の二つの条件を同時に満たすか否かを審査する。即ち、明細書には当該実験データが直接証明しようとする事実が明記又は黙示的に開示されるという条件、及び当該実験データは本願の内在的欠陥を補うものではないという条件を満たすか否かを審査する

この2点に対して、反証5の実験データは出願人が実験室で入手した客観的なデータであり、反証6及び7における実験内容及び当時の関連連絡情報が米国現地で公証されたものである。無効審判の口頭審理の過程においては、合議体と無効請求人はいずれも証人S氏に対して審問を行い、反証5が本願の優先日前に完成した実験データであると証明したので、証拠5の真実性、合法性及び関連性を認めるべきである。

また、本願の明細書第[0036]段落には「優れた低エッチ速度を提供し、安定でかつ他の多くのシラン前駆体よりも長い保存寿命を有するという点で、プロセスにおいて予想外の特性を提供する」と記載され、本願の明細書第[0064]段落には、「ジイソプロピルアミノシラン(DIPAS)は、低エッチ速度の酸化物のプロセスにおいて、前駆体としてのジエチルアミノシラン(DEAS)の使用に対する利点をもたらす」と記載され、従って、上記開示から「化学及びプロセス両方の観点から、ジイソプロピルアミノシラン(DIPAS)は、低エッチ速度の酸化ケイ素膜を製造するための好ましい前駆体である。」と結論付けている。上記開示から分かるように、本願にはDNPAS(ジ-n-プロピルアミノシラン)は明確に言及されていないが、本願を完成する際に、ジイソプロピルアミノシラン(DIPAS)が低いエッチ速度の酸化ケイ素薄膜を形成する好ましい前駆体であることは証明されていた。

一方、反証5(補足実験データ)によりジイソプロピルアミノシラン(DIPAS)がDNPAS(ジ-n-プロピルアミノシラン)に対してより良い安定性を有することを証明でき、反証5の目的は、ジイソプロピルアミノシラン(DIPAS)がDNPAS及びDEAS等の多くの類似化合物前駆体に対してより良い安定性を有することを証明することであり、本願の内在的欠陥を補うものではない。

 

4.今後の留意点

 中国審査指南(2023)の第二部分第十章「化学分野の発明専利出願審査に関する若干の規定」の第3.5節「補足実験データについて」には、「補足実験データが証明する技術的効果は特許出願の開示内容から当業者が得ることのできるものでなければならない」と規定されています。

 従って、進歩性欠如を対応する際に、補足実験データを提供し、このデータが受け入れられるか否かについては、(1)補足実験データが直接証明しようとする事実は元の特許出願に明確に開示されているか、暗黙的に開示されるかというポジティブな要素を考慮する必要があり、(2)補足実験データが元の特許出願の内在的欠陥を補うことはできないというネガティブな要素を考慮する必要があると考えます。

 

 本件記載の中国最高裁の判決(中国語のみ)は以下のサイトから入手可能です。

 https://ipc.court.gov.cn/zh-cn/news/view-3420.html

[1] 新規性については、金氏は一審審判期間に、新規性を有さないという請求を放棄した。

本欄の担当
弁理士法人ITOH
所長・弁理士 伊東 忠重
副所長・弁理士 吉田 千秋
担当:Beijing IPCHA 中国弁理士 塗 琪順
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